和田秀樹

共感には、さまざまな定義があるが、同情とは違うものだとされている。同情も共感も、相手の感情状態を自分も同様に体験するのであるが、同情の場合は、原則的に相手が悲しんでいるとか、苦しんでいるとかのネガティブな感情をもっている場合のものである。 共感はもう少し、広い意味に用いる。たとえば、相手が悲しんでいる時に自分も悲しい場合は同情でも共感でもあるが、相手が喜んでいる時に自分も嬉しくなるとすれば、これは共感と言っても、同情とは言わない。 アメリカでもっとも人気のある精神分析理論である自己心理学の祖、ハインツ・コフート(1913-81)がこの共感に目をつけたのは、観察手段としてである。相手の心理状態や主観的世界は、この共感によってしか観察できないのだ。 どのように観察するかというと、相手の立場に身をおいてみて、自分がどのような心の体験をするかを想像するのである。 。。。 想像は、相手が同じ人間である以上、多少なりとも当たっているはずだというのがコフートの基本理念である。少なくとも、相手の背景情報を知る、あるいは相手の立場にたつまでは、相手の心の中がほとんど想像できなかったところが、多少は気持ちがわかるようになる。